2015年11月19日木曜日

そうあるべくして

職場では

エフエム802がずっと流れている。

そこで流れる音楽はそこで鳴るべくしてつくられている。

そんな気が最近しているのです。

それが色々なことの答えであり、

僕に対するひとつの声明である。

そうゆうことを頭の中で整理していくと、

表現の内向性と外向性、

自己で完結しているのか他者との共有で循環しているのか、

ということがおぼろげながら見えてくる。

あーそうゆうことですかと思わなくもない。

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